15.もし、自分が”光子”だったら

                                                                            2026/06/19

 もし、自分が光子になったら、それはどのような世界なのだろうか?
想像力を駆使して考えてみた。
 光は、秒速約30万km/sで、1秒で地球を7周半するほど速い。
しかし、宇宙に目を向けると、光は遅い、絶望的に遅い。
太陽系のお隣の恒星系プロキシマ・ケンタウリまでの距離は、約4.3光年である。(光年とは、光が1年かけて進む距離である。)
この恒星系には、プロキマ・ケンタウリbというハビタブルゾーン内に惑星があり、生命がいるかもしれないと考えられている。
隣の恒星系に光の速度で行っても4.3年もかかるのである。
将来は、光速を超えるワープ航法やワームホールを使った宇宙旅行が出来る時代が来ると思っている人も多いかと思います。
しかし、夢を壊して申し訳ないが、光速を超えることは、科学技術がどんなに進んでもおそらく不可能だと思う。
その理由は、光速を超えると因果律が崩壊からである。
しかし、その心配は杞憂だったかもしれない。
秒速約30万km/sは、因果の伝達速度の上限速度であり、光も因果を伝達するので、光も秒速30万km/sが上限という訳である。

 ここで、問題です。
光速の1/10のロケットでプロキシマ・ケンタウリを目指して旅をすると何年かかるでしょうか?
ロケットは、等速直線運動として、加速、減速は考えないものとします。
答えは、簡単ですね。
43年です。
では、光速の99%のロケットではどうでしょうか?
答えは、0.607年です。(7か月と10日程度)
あれー、計算間違い?
光速でも4.3年かかるのに、光速より少し遅い速度だと1年もかからないのは、おかしい?
実は、この計算結果はあくまでもロケット内から見た時間である。
地球からの観測では、ロケットは、4.34年かかって、プロキシマ・ケンタウリに到着することになる。
勿論、ロケットの到着を望遠鏡で確認できるのは、さらに4.3年後だけど、これは単なる伝達遅延なので無視する。(伝達遅延は補正して考えることにする)
ロケットの速度が光速に近づいてくると、相対論の効果が強く出てきて、進行方向の距離が短くなって(ローレンツ収縮)、時間の進みが遅くなるのである。
参考までに計算方法を載せますが、数学が嫌いな人は飛ばしてもらって結構です。(私も数学的な説明は苦手です)
ただ、速度が速くなるほど、進行方向の距離が縮み、時間の進みが遅くなることだけは覚えておいてください。





 ロケットの速度に対するロケット内の時間、ロケットから見た距離の計算結果を以下の表に示します。

 速度  ローレンツ因子 地球から見た時間(年) ロケット内の時間(年)   ロケットから見た距離(光年)
 0.1C  1.005  43  42.786  4.279
 0.5C  1.155  8.6  7.446  3.723
 0.9C  2.294  4.778  2.083 1.874
 0.99C  7.089  4.343  0.613  0.607


 この表をみて、ロケットの速度が光速に近づくと急激にロケット内の時間が短くなり、ロケットから見た距離が急激に短くなることに注目してほしい。
 さて、ここからが本題である。
ロケットが光速に達したら、どうなるのだろうか?
このまま計算すると、ロケット内の時間は0(ゼロ)、ロケットから見た距離も0(ゼロ)となる。
まあ、ロケットは、光速に達することは出来ないので、これは光子視点ということになる。
時間が経過しないということは、出発した瞬間に到着するのである。
これは、プロキシマ・ケンタウリに限らない。
数100億光年離れた宇宙の果てだって0秒で到着できるのである。
私は、どんな遠くにでも0秒で行けるのだから、「光子の速度は無限大なんだ。」とずっと思っていた。
しかし、よく考えて見ると、その移動距離も0なのである。
光子は、0mの距離を0秒で移動したのである。
そうなると、光子視点から見た光子の速度は、本当に無限大なのだろうか?
速度は、距離÷時間だから、速度は、0/0となる。
誰が言い出したかわからないが、数学的には、分数の分母を0にすることは、禁止されている。
分数の分子が有限の値で、分母が0なら、ただ答えが無限大になるだけで、何も禁止しなくてもいいような気がするのだが。
まあ、数学者にケンカ売る気はないけど。
ただ、今回の場合は、分子も0なので、事情が異なる。
先ほどの式で、ローレンツ因子を計算するときに、v=Cとすると、「この分数式の分母が0になるので、計算式は破綻しています。」
と、chat GPTに指摘された。


しかし、強引に距離/時間を式にしてみると、


となって、光子の速度は1、つまり光速となった。
光子から見た自身の速度は定義できないかも知れないが、「もしかしたら光子自身から見ても光子の速度は光速(30万km/s)」なのではと考えてみた。
 光子視点で見ると、0秒で到着するのだから、出発と到着は同時である。
また、距離についても、プロキシマ。ケンタウリどころか、アンドロメダ星雲や宇宙の果てだってすぐ近くにある。
いや違う、すぐ近くではなくて、全宇宙が光子自身と同じ場所にある。
光子は、何処へ行くのも光速で行くのだが、目的地が出発点と同じなので、そもそも移動する必要もなく0秒で目的地に着いた。
といったところだろうか。
人間が、光子に質問したとする。

人間
「あなたにとって、時間、距離(空間)とは何ですか?」

光子
「時間って何? 、 距離(空間)って何?」

つまり、光子にとっては、そもそも時間、空間の概念すらないのである。勿論、速度の概念もない。

ここまでが、私の頭でイメージできた光子の姿である。
リチャード・ファインマンが提唱した”光はあらゆる経路を同時に通る”という「経路積分」について、何となくわかるような気がしてきた。

 さて、今回の話は一段落するが、光子にとって”出発と到着が同時”というのが少し引っかかった。
ここからは、余談だと思って読んでほしい。
引っかかったのは、光子の遅延選択実験である。
事前にも考察したことがあるが、別の視点から見てみたい。
遅延選択実験については、図のみ載せておきます。
説明は、下記を参照してください。

遅延選択実験についての考察







この実験、何が不思議かというと、
上の図では、BS2がある場合、レーザーから発射された光子はBS1で波となってルートAとルートBの2つに分かれを進み、BS2で波が合成された結果、検出器1で100%、検出器2では0%となる。
(そうなるように距離が調整されている)
一方、下の図では、BS2がない場合は、発射された光子は、BS1で1/2の確率で振り分けられ、粒となってルートA又はル―トBを進んだと考えられ、検出器1と検出器2に50%の確率で検出される。
つまり、BS2が有る場合、光子は波となって、ルートAとルートB分かれて進むのに、BS2ば無い場合、光子は粒となってルートA又はルートBどちらかを進む。
不思議なのは、光子はBS1を通過(又は反射)した直後はまだ、BS2が有るか無いかは知らない筈なのに、BS2の有無を知っているかのような振る舞いをすることである。
それでは、光子がBS1を通過(又は反射)した直後にBS2の有無を切り替えるとどうなるか?
なんと、BS2を挿入した場合、光子は波として振る舞い、BS2を取り去った場合光子は粒として振る舞うのである。
この現象について、”光子が過去を改変した”と解釈されているようである。
つまり、光子がBS2の位置に到達した時点で、時間を遡ってBS1通過(又は反射)直後の光子が波か粒を決定しているとの解釈である。

 この不思議な現象を光子の立場から解釈をしてみた。
特殊相対性理論から導き出される結論の1つに”同時性の破れ”がある。
これは、自分にとって同時に起こった2つの出来事が、高速で移動する観測者から見ると、バラバラの時間間隔で起きるというものである。
速度とは、絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものであり、どちらが観測者、被観測者になってもいい。
単にそのように見えるということではなく、異なる速度の観測者にとって、同時が同時でなくなるのである。
この現象を突き詰めるとブロック宇宙論にたどり着く。
ブロック宇宙論は、ある意味未来決定論であるため、”あなた自身の行動によって未来は変わる”という感覚的経験から否定する人も多いのも事実である。
しかし、あなたにとって1時間前の出来事と1時間後の出来事を同時起きたこととして観測している観測者がいる以上、ブロック宇宙論を否定するのは難しいと思う。
「過去も未来も既に存在している」なんて受け入れ難いことだが、人間の脳に記憶された部分が過去であり、まだ記憶されていない部分が未来というだけで、
過去、未来という感覚は、人間の脳が作り出した錯覚なのかもしれない。
 さて、ここで思い出してほしいのは、光子にとって、出発と到着は同時であるということ。
我々人間視点では、光子は、レーザー発射装置 → BS1 → ミラー1(又はミラー2) → BS2(BS2がある場合) → 検出器1(又は検出器2)
の順に通過しているが、光子にとっては、発射された瞬間とBS2(BS2がある場合)に達したのは、同時なのである。
BS2があるかないかは、光子が発射された瞬間には、既に決まっていたことになる。
「過去は変えられないが、未来は自由意志で変えられる。」と反論するかも知れない。
しかし、その自由意思も含めて未来は存在している。(そもそも、自由意志なんて錯覚に過ぎないのだが。)
映画のフィルムと同じで、1本の映画を見ているすると、今見ているシーンは現在で、見終わった部分は過去、これから見る部分は未来である。
それぞれの異なる速度系観測者によって、現在見ているシーンは異なるが、結局映画の内容は観測者によらず同じなのだ。

みなさんも過去を振り返って、「あの時、〇〇しておけば良かったのに」と過去の行いを後悔することがあると思いますが、
ブロック宇宙論の前では、過去のタラ?バは意味がないのである。